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もうよくわからないから
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「ありがとうございます!」
手を振りながらお礼を言われて、手を振り返した。 本日開店!受付の方はお並びください。。 威勢のいい看護婦(差別用語)がメガホンで吠える。。 そうか、歳を重ねるほどにサービスを求めるのかこの国は。 ある意味自殺者は賢いのかもしれない。 お詫びに拍手か!傑作だ! 振り返ると、まだ手を振っていた。。
MOTHERのCM[wmvファイル直](昔のTVゲームのCMを集めてみました。)
この「MOTHER」のCMに出てくる、糸井重里が考えたと思われるキャッチコピーを見て思ったのは、日日の日キで言うところの「76年式」に当てはまる世代は、レコードからCDへの転換期を肌で感じることなく、レコードをアナログと呼ぶのが常用的になる瞬間を肌で感じた世代ではないかということ。つまり、自分の小遣いで音楽を買おうとした時には既にCDが当たり前になりつつあり、その後のDJブームでアナログの需要性を認識した人は少なからず「76年式」に当てはまる感性の人間ではないだろうか(というCDレコード逆転認識の呪縛)。逆に、音楽に目覚めるのが早く、幼い頃からレコードに触れていた人は同じ年代であったとしても微妙に違う感覚を持っているかもしれない。 だから何なんだという話しだが、この世代が孕んでいる危険性は他の世代とは明らかに異質なものであると思える節があるのだ。話を糸井重里のキャッチコピーに戻そう。「MOTHER」のCMで出てくるキャッチコピーというのは「名作保証」という言葉である。これを我々の世代は当時何の疑問も感じずに受け入れていたと考えると、ちょっと身震いしてしまうのだ。 今でこそ、この手のコピーが嘲笑されるのは承知の沙汰だが、当時はこんな言葉が広告を支配していたわけだ。イヤちょっと待て、ならば今はまともな言葉が使われているのかと問われれば決してそうではない。ただし、昨今の広告は言葉よりビジュアルである。言葉の意味合いよりも文字のフォントが勝負だったりするのだ。 しかもだ、現代の日本人は、その精度はどうあれ、突っ込む技術を習得している。ダウンタウンという一つの文化が生活に多大な影響を及ぼした結果か、メディアの多様化のせいか、人々はそれまで以上にメディアに突っ込みを入れるようになった。テレビ番組が少しでも気に入らなければ苦情電話をかけれるのだから。テレビに苦情電話をかけるのは利口な突っ込みとは言えないが、つまりはおかしいものはおかしいと突っ込むフィールドがあって受け手はそのフィールドの意見も搾取できるのだ。 ところが「MOTHER」が発売された80年代後半から90年代前半に至るまでそのようなフィールドは存在こそしていたもののメディアの作るものにまだ多少なりとも信頼性が残っていたのか、突っ込みフィールドの必要性がなかった。ただ確実に、受けての信頼に応える様なメディアの作品が減少していたのにも関わらず。。 そんな突っ込みどころ満載のメディア創作物がほとんど突っ込まれないまま大人たちのフィルターを素通りし、無知な思春期の僕らの五感に冴え渡っていたのだ。今風に言うと、まさに微妙な時代に青春時代を過ごしてきたわけだ。 吉田アミさんが言うように、この世代に何かを作っていて、パクリに厳しくサンプリングに甘い人間が多いのはこのような呪縛から自分を解き放ちたくて、もがいている人間が多いからではないだろうか。 この世代を特別視するのはおかしいし、それぞれの世代にそれぞれの障害があるのだろう、微妙と言う意味では今の方が微妙だという見方も出来るかも知れない。ただ、今この世代が抱えている問題はもうそろそろすっぱりと解消しなければいけない時期にある。昨今の、お世辞にもスムーズとは言えない世代交代の光景、その世代交代がもう間もなく日本のあちこちで大小問わず行われるのだ。何事にも節目があるように、世代もやはりどこかで区切られている。CDとレコードを使った区切りはピントのずれた見方かもしれないが、丁度、今になって慌てて駆除を始めたガードレールの金属片のような障害物が世代と世代の継ぎ目にも無数に付着しているのかもしれない。 僕らは青春時代の呪縛から解き放たれなくてはそんな些細な障害物も駆除できないままなのだ。そのためにはやはり80年代後半から90年代前半の間の文化みたいなものを一通り踏襲してしまわければいけないと思う。 至極主観的な言及故、僕はその信憑性を疑うに及ばない。 きっと歩道沿いから見える景色を描き終えた画家が「俺はここから見える景色を描いたぞ」と言わんばかりに、その作品に使用したパレットナイフを、何故か取っ手部分を取り外し、ガードレールにマーキングよろしくスパッと挟み込んでいったんだ。。そんな妄想を膨らませる自分をどうにかしたい。 ミスくの一がから騒ぎに出ていたーー!なーんか観たことある顔だなと思ってい観ていたら自ら暴露しやがった。いやーこの忍術村のHPもかなりシュールだ。。くの一なのに水着審査ってシュール以外の何物でもないよね、そんなことで判断される忍者の世界だなんて昔のよゐこよりシュールだよ。ミスコン反対についてだけはフェミニストの側についてもいいかな。。だって本筋に関連性のない宣伝目的だけのミスコンやったって自意識過剰な人間を増やすだけじゃないか。。まあでもこれも社会なのかな。。面白けりゃいいんだ。 関連サイト-甲賀の里 忍術村 参考-女忍者ナンバーワンが決まった!(日日の日キ) STOP RED PANDA !!全国各地で次々に立ち姿をアピールするレッサーパンダ。きっと来年の今頃には、立たないレッサーパンダが逆におしゃれになって「お宅のレッサーパンダは立たない?」という問い合わせが殺到するんだ。。 ※立ちレッサーブームの影響か、こんなトランスフォーマーも。。
”思いつきでものを言うな”ってのは嘘だな。思いついたこと発表しないでどうすんだってことですよ監督。そういえば思い付きでなんたらって本が出てたけど内容知らないのでアレですが、おそらくあの思い付きと僕の言ってる思いつきは違うはず。ようするに、コレはこうかもしれないね、とか、このアイデアどうですか?みたいなことはどんどん思いついたら吐き出さないと頭パンクしちゃうってことです。あとはそれに受け手が賛同するかしないかで、ここまでは表現の自由じゃないかと。そういう表現の場が少ないと思いません?そりゃ高度成長したくらいだから経済的な表現の場は多いし、自発的に作るのも困難ではない時代ですけども、もっと単純な表現の場ってやっぱり少ないですよね。だからこそブログや2ちゃんなんてものが流行るのではないかと。それ以前にネットは広大な表現の場でしたね。ただ表現するにももっと具体的なものを提示していかなくてはいけないと思います。僕もそのつもりですがどうも思想、批評、なんか好き嫌いで判断できないようなものが溢れている気がするのです。あー話が逸れてます。いや題名書いてないから読んでる人にはわからないと思いますが非常に逸れてます。逸れてるというかこれから書こうとしていることはあまりにも抽象的なので、前書きを明らかに失敗していることに気付いて落胆している始末です。やっぱり思いつきで書き始めるのは良くないですね。思いつきはある程度整理してから吐き出しましょう。いや、でもドンドン吐き出していいと思いますよ。一応何を書こうとしていたかタイトルだけでも書いておきましょうか?書かなくていい?いや書く!書きたいものを書く!これは僕のブログだから!「日本のネットユーザー人口総2ちゃんねらー説」ってのを書こうとしていました。まさに思いつき、撮って出しのこの説が気になる方が一人でもいたら書こうかなと思います。これでも何人かこの長ったらしい記事を読んでらっしゃる奇特な方がいる様なので。。とりあえずコメントしてください。何故なら書きたいから!吐き出したいから!抽象派と呼ばれてもいいから!とりあえずそれまでは僕以外の人が吐き出した具体的な表現を紹介していくという進行でお茶を濁していきます。はい次の記事へGO!
また真似についてですが、パクリと言わせない為にはオリジナルに敬意をはらわなければ、ということはオリジナルを貶すような真似をした場合はどうか。そこにもやはり愛が無ければいけない、それは一般的なものまねやカバーよりも辛い。愛をもって貶すときに絶対にそこに罪悪感を持ってはいけないから。時には感性の足りない受け手には不快感を与えてしまうから。オリジナルに伝わらなければ互いに傷付くから。
真似とは命がけの行為なんだなあ。広い意味で捉えると批評も一種の真似かもしれない。誉めるにも貶すにも愛がいるし誉める貶す対象があってこそ成り立つわけだから。 そして真似する時には一切の、一切の欲を断ち切らねばならないというのも重要なとこだろう。 これでだいたい真似かパクリか見分けつくかな。 関連 - kamix.exblog.jp/2731237/
(僕の中では)松本大洋の画集を出版したことで有名なフリースタイルという出版社が6月に雑誌を創刊するということで、とても楽しみなんですが、それについてメルマガで興味深い言及があったので思い切って転載してみようかなあ。
----------------------------------------------------------- まねをする、 ということがあんまり良いふうに言われなくなったのは いつからなんだろうと、ふと思いました。 深く考えてみれば、オリジナルなんてものが、 そう簡単にころがっているわけはなく、 自分の意見、感想こそがオリジナルなのだと思っているひとほど、 もっともひとの意見に左右されやすい、流されやすいひとだ まねの果てに、オリジナルというものがかすかに見えてくる、 というのが本当ではないかと思っています。 なんでこんなことを書いたのかというと、 雑誌「フリースタイル」は、いろんな雑誌の「まね」をしているから。 つまり、「僕の体の上を通りすぎていった雑誌たち」のまねをしているわけです http://webfreestyle.com ----------------------------------------------------------- 乱雑に抜粋したので全部読みたい方はフリースタイルのメルマガに登録したらいいじゃん! 立川談志も松本人志のビジュアルバムを観て、先人がやってた中で面白いものを取り入れて何かを作るのも、受け入れるというのもセンスだ、みたいなことを言ってましたが、こういうのを突き詰めると著作権ってなんじゃい!と少々取り乱してしまうのです。ですがこういう制度は往々にして人が人を敬わないから作られてしまうわけで敬意と言うものが人の中にしっかり根付いていれば法律で人を縛るなんてこともなかったでしょう。話が反れても反れたまま進めてみると、新しい物や概念が生まれるとそれに反して制限が増えるという矛盾が起きてるわけです。それは人が創造物に敬意を払わないからです。で一気に話を「まね」に戻すと、昨今真似することががパクりとカテゴライズされるようになってしまったのは「まね」という行為がオリジナルに敬意を払う行為だと言うことを忘れてしまった作り手が増えてしまったからです。だからしてそれを観たり聴いたりする受け手も不信感なしにそういうものを批評できなくなってしまったのでしょう。そんな感覚が蔓延して、いつのまにかアレはアレの要素があるねえと指摘することが批評であると勘違いした批評家が増殖してしまったんでしょうねえ。そして結果的に素晴らしい才能が埋もれたままほったらかしにされていたりしてるわけです。サンプリングなんてもっと自由にやれてもいいはずなんです。そういうことが臨機応変にできないのは素晴らしいものをちゃんと評価することを怠ってきたからでごわす!ものまねって面白いでしょ、それはものまねする人がその本人に対して敬意を払っているからで、話題性やタイミングだけ気にしてちゃちゃっとまねしてる愛のない芸はいくら似てても全然面白くないのです。最上の愛でもって模写すればモールス信号を口で真似するだけでも面白い!ドンドコドンの山口智充の物真似は器用でレパートリーが多いから面白いんじゃなくて愛があるから面白いの!ああいくら書き足しても話がうまくオチないから今日はこれまで(上半身と下半身を捻る感じで)!
僕は結果的に2ちゃんねるを眺めている。
インターネットを利用し始めてまず食いついたのはやっぱりデザインがオシャレでFLASHを使った動的なコンテンツだった。動機は自分の曲をアップするHPを作りたかったからだが、やっぱり作るならオシャレなほうがいいだろうということでウェブデザイン会社のサイトをいろいろ観て回ってFLASHの使い方を覚えて、、まあその辺は一段落した。そして僕は現在ブログの更新に勤しんでいるわけだが、インターネットをある程度利用してきていろいろと自分なりに事情がつかめてきて徘徊の仕方を覚えてくると段々とデザインが二の次になって、一番はそのページの情報の鮮度と重要さになり自分のブログにいかに反映させるかがポイント(オブビューポイント)になってきた。その次にまた奇妙な転換期が訪れた。それは今までダサいと思って敬遠してきたグレイのまっさらな背景に黒字がびっしりのテキストページが恐ろしくデザイン性(機能的要素)に富んだものに思えてきて、そういうページの閲覧が心地良くなってきたことだ。これは考えるにSEの人たちがソースを観ていると落ち着くという感覚への第一段階ではないか思った。これは主観的な感覚だ。だが、2ちゃんねるに未だに新しいスレが立ち続け、またそれらにあれこれ言及する閲覧者が絶えない理由にこの感覚を当てはめると合点がいくのだ。はっきり言って2ちゃんねるのスレは主語がさまざまな芸能人や芸術家や会社名や商品名に替わるだけでその後に続く批評や中傷の内容はほとんど同じに見える。わかり易く言うと2ちゃんねるは全盛期の小室哲也(歌手が違うだけで曲は一緒)だ。あそこで情報を得るにしても、結局その情報に関するページのURLが書き込まれているだけでグーグル検索と変わらない、直接情報が書き込まれていることもあるが、それも大半はネット上で調べたものを転載しただけだ。「電車男」も一通りスレを読んだが、ありきたりな”恋のレクチャー”が並んでいるだけでコレといってオリジナリティに富んだ書き込みはない(読み物としては魅力ゼロ)。それでも書いたり観たりしたくなるのは、あの縦に長く(永く)連なる書き込みと鮮明さに欠けた背景色のせいではないだろうか。要は書き込みの内容ではなく延々と続くログをスクロールさせることで一種の高揚を得ているのである。再びわかり易く言うと2ちゃんねるはミニマルアート(同じ椅子をずらっと並べるとアートになるというミラクル)だ。確かに無記名でずけずけ発言するという行為が罪悪感と共に快感をもたらす場合もあるだろうし、閲覧者が不快な気分になりながらも2ちゃんに何らかの関わりを持つことでサブカル意識を掻き立てようとする欲求も存在するのだろうが、それだけでここまで大きな社会現象にはならなかっただろう。2ちゃんねるブームは視覚作用がもたらすものだという根拠がもう一つある。アスキーアートだ。あれこそまさに文字の羅列という法則に則って画像を使わずにどうにかして新しい視覚作用を見出そうとし、再び日の目をみた創作意欲の賜物ではないだろうか。あれが無ければ僕は「電車男」を最後まで読めなかっただろう。つまりアスキーアートは、眺めるという本来の2ちゃんへの関与の方法を提示することで、文字を追うことに意義を持たせようとして挫折していく閲覧者を繋ぎとめたのだ。少なくとも僕はそういうふうに2ちゃんねるを眺めている。時々チェックして興味のある主語があればその板に飛んで内容を把握するかしないかくらいのスピードでページをスクロールさせてアスキーアート(あのネコみたいなのは飛ばす)を見つけるとしばし手を止める、というふうに。ブログはそういう意味で僕のような”ネット初心者と2ちゃんにはまるようなエンドユーザーの間にいる中途半端な立場の人間(あと創作においては個人主義を貫いている人)”にとってデザイン性と閲覧の気持ちよさ、そして利用対象を選ばない気軽さが備わった恰好のウェブコンテンツといえる。こういったウェブログがあらゆるサーバーに蓄積されていくという事態は意味があるのかないのかわからないが、ポジティブに考えると表現意識の蓄積によって出来上がった一つの文化にも取れる。もしこの考えが多少なりとも当たっているなら、2ちゃんねるに誹謗中傷ではなくもっと無意味なことを書き連ねていくだけでもユーザーの欲求はある程度満たされるはずだ。書き連ねることにしか意義はないのだから。逆に無意味なことを書くほうがエネルギーを浪費するし、書き切った時の高揚感は大きい。それに近いのが「宇宙ヤバイ」(だっけ?)だ。あれは無駄なメッセージ性は否めないものの、まさに主語を替えてるだけだ。他にもああいう好例があるのかもしれないが、あまり観ないのでわからない。ただ一閲覧者としての願いはああいう無意味なスレに嫉妬して人を傷付けるような行為に走らずに、どうかもっとバカらしいスレを立てて無駄な時間を割いてアスキーアートを完成させて(自動生成ソフトなんか使わずに)視覚的に刺激のある板を作り続けて欲しいということだけだ。 それでもあなた(誰?)は悪口を書くことを止めず、ネットの公共性だとかプライバシーだとか煮え切らない論議を煽り、蒸し返すのですか?(AC-公共広告機構-風キャッチコピー) ※話がところどころ飛んでいるのはしっくりいかない文章をカットしているからです。 ※改行がないのはあくまで意図的なもので改行のタイミングがわからなかったからではありません。 ※「スレ」や「板」など2ちゃん的用語の使い方に自信がなかったことだけは認めます。 ※本当はみんな心のどこかでキムタクみたいになりたいって思ってるんでしょ?
<BOOK>relax特別編集 IT'S YOUR LIFE あなたはユニクロが嫌いですか?
![]() 昨日、NEET(そんなのいないけど)を意識しつつおしゃれクリエイター志望の心も鷲掴み!みたいな欲張りなテレビ番組(記憶を頼りに調べたから自信ないけど日テレの先端研)でユニクロ特集をやっていた。ユニクロのイメージというのがアンケートで大体「安い」。僕にしたら「妥当」、大体服ごときにデザイン料だの高すぎじゃい、そういう意味で衣服の価値を問いただしたMUJIやユニクロは偉いんじゃい、パンクなんじゃい、僕のユニクロジャージの方がASA-CHANG&巡礼ジャージよりかっこいいんじゃい、と言いたいところをぐっと堪える。イメージを変えるためにユニクロは低価格をやめるというが、その心意気とかTシャツいっぱい作るっていうのもイケイケ・ヤレヤレって思ってたけどそれを担当している人の「とりあえずTシャツで一番になりたい」という浅はかな企みを知って一気に萎える。そして更に日経アメリカ人に店のロゴマークのTシャツ作れ(理由は、ギャップだかゲップだかも作ってるからという大人をバカにしたマッチョな根拠)とか変なアメリカイズムを押し付けられそうになってるのを観て発狂寸前。てなんか記憶の順番もおかしくなっている(だってその辺の編集もなんか誤魔化されてたから)、日経アメリカがあって低価格イメージのくだりだったような気もするが。 それからおしゃれクリエイターをゲストに毎回招いているようで、それは別にいいんだけど前もちょこっと観た時に質問してた「仕事好きですか?」に対してのおしゃれクリエイターの回答がその時も今回も「好きではない」。これって明らかにNEET(そんな言葉ないけど)を意識した質問に思え、しかもみんな仕事なんて好きじゃないんだよ、でもみんな頑張ってるんだよ、みたいな一方的な打開案は逆効果な気がして脱力。多分逆に嘘でもいいから「仕事大好きです!」って煽った方がまだマシな気がしてロックンロール!そこらへんでチャンネル変えて30ミニッツ再放送。。ホッとするね(山田直子)。 さあみんな、ユニクロTシャツ着て部屋の窓を開けてりんごを齧ろう!そしたら世界が変わるんだってさ。バカ高いコートの下にユニクロのニット着てもいいじゃない!プラダのバッグ背負ってユニクロの袋持っててもいいじゃない!デスクトップはマックでもノートはウィンドウズだなんて素敵じゃない!
サツキとメイの家 別の場所にもう一軒 ジブリ計画 万博閉幕後も公開(YOMIURI ONLINE)
サツキとメイの家が二軒に。。でも僕は行かないよ。だってサツキもメイもサツキとメイの家も僕の心のなかにあるから。サツキとメイっていうか宮崎駿がみんなの心の中に。。 ロリコン親父って言われてるけど、そのとおり!そうでなきゃあんなにバンバン子供のために作品作れないよ。「紅の豚」なんか女の子が豚に惚れちゃうし。みんなギリギリのところで頑張ってる。だからマイケルも子供をギリギリのところで可愛いがっただけ。ネバーランドはギリギリのところっていう意味です。
愛知万博取材ブログ
散々否定してきた地球博のレポート。比較的空いているらしい世界パビリオンはちょっといくつか観てみたいかも。そしてこのコンビニのレシート欲しい!!(会場内のコンビニは?内) killer7 6.9発売。やっと出るなコレ。待ちくたびれたぞコノヤロー!それにしても開発画面だのネタを小出しにしてるがどうもまだ何かトラップがありそうな予感。絶対見た目ほど怖くないだろうし、ゲーム性も低いはずだ。もしかしたら全部偽画像かも・・・。騙されないぞグラスホッパー!でも期待してるぞグラスホッパー!
今日のニュースを観てちょこっと妄想に耽る。
<電話> 「もしもし」 「あっ時田?オレオレ!」 「何?なんかそっち騒がしくない?」 「さて、今俺は何処にいるでしょう?」 「知らん、何してんの?」 「実はー俺は今ー愛知にいます!」 「お前まさか?」 「そお!愛・地球博にいんの!」 「へえー元気だなお前。」 「うらやましいだろ?こんなイベント滅多にないからな!やっぱり一度体験しておかんとな。」 「どうせ混んでんだろ・・・並ぶの嫌いだしさ。まさか並んでて暇つぶしに電話したんじゃないだろうな?」 「ピンポーン!今並んでるんだ俺、ちょっと相手してよ。」 「お前の暇つぶしに付き合う気はないぞ。ったく・・・。」 「いいじゃんちょっとくらい~だってお弁当じゃないと飯持ち込めなかったんだもん。」 「・・・はい?」 「いや、だから飯食いたいから並んでんだよ。」 「うわ~飯もやっぱ並ぶのか、きついなあそれ、何屋?」 「え?コンビニだよ。」 「へ?」 ぶっはっはっはっはははははははははは!!!!!!!!!!コンビニ入るのに10分待ちって!!!ぷっはっはっはははーーー!!入り口でお姉さんが看板持ってふぷっっっはっはっはっはははははははーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ひゃあああああああああああああああああああああああはっはっはっははーー!!!!! よっしゃ!!手作り弁当持って、行こうよ!地球博! しかしせっかくニュースで特集なのに何のアトラクションも紹介しないで食べ物が持ち込める持ち込めないで随分盛り上がってたけどあんまり取材できないのかなあ。「持ち込めない」プレートと「持ち込める」プレートをデスクに置いてなんかいろいろ分けてのが面白かったなあ。ニュースでも何でも宣伝しといた方がいいんじゃないのかなあ。
全然俯瞰で見れなかった。
いかんです。これではいかんと思うのですが、いや見れないことはないんだが、牢屋でソーラン節とか倉庫でドッコイショとか鼻水とか平田満とか相田みつをとかいかんせん誰でも気付けそうなことばかり。もう二度目の卒業証書授与、もういいわかったから、泣いてるから、みんな泣いてるから、テレビの前でみんな泣いてるから、もう勘弁してくれ(引き攣りを伴い)、二度目の卒業証書授与とか言い回してるからね。完全に終始心のタップして。 いかんなあ、本物の教師。偽者にこれだけやられてるのにくやしくないのかねえ。役目逆転しとるからねえ。テレビの世界としか見てないんだろうなあ。極論を極論としか捉えられないんだろうなあ。照れとか入るんだろうなあ、本業の癖に照れ入るんだろうなあ。プロの癖に。そうでなかったらここまで続いてないだろうしなあ。あっ本業さんがやってるから偽者が頑張っても誰も見てくれないやあってのが本当なんだろうなあ。金八って聞くと舌打ちする教師はどれくらいいるんだろうなあ。その教師の授業はさぞかし面白いんだろうなあ。 EXPO2005!レッツ愛知!
愛・地球博オフィシャルサイト日本語版
愛・地球博オフィシャルサイト英語版 下がる。何がってテンションが。 このサイト見たら誰しもテンション下がる。 いや俺は下がらないけど、てのは下がってることに気づいてない症候群だ! 何故日本語版のサイトだけああいうデザインになるのか・・・悲しすぎる。 海外向けのデザインのほうが全然いいのに。なんで日本ってああいうテンション? 無理!ついていけない!ムリムリ!日本無理!万博無理! 大阪の万博の頃にサイトなんて作ってたら絶対ああはなってないだろうに。 絶対おかしい。80,90年代を経て日本はおかしくなった。 いっそのこと全部世代交代しないとこのままずるずるいってしまうぞ。 自分の財産とか名声とか誇示してたい気持ちはわからなくも無いが・・・いや、わかりたくもないわそんなせこい精神!もう交代交代! 助けてドラえもん!あれ!声が違う!!きゃああああ~!! <追記> あのなんか二匹キャラクターいるでしょ。なんかケバケバした残念な出来栄えの。あんなのキャラクターにしなくてもいっぱいロボットいるじゃん!あれキャラクターにして押せばいいのに!なんでわざわざ町内会で金出し合って作ったような着ぐるみをキャラクターにするのだろうか。ロボはロボでデザインどうにかしてほしいけどね。あーー腹立つは地球博!何あの手でつくるサインみたいなの?恥ずかしくて顔真っ赤になるわ!もう全員敵に回してもいい。地球博全否定!
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